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過去の精算よりアツいことがあるんだぜ、夏【カンフーパンダ2】

美しすぎるオタク(コミケ参戦暦10年記録更新中)の染宮愛子です。
コスプレイヤーではないのがミソです(謎)

 

昨日はコミケにお手伝いで行ってきました。今年は松岡修造さんがリオに行っている効果か(!?)比較的過ごしやすい気温でした。なお、コミケにおける『比較的過ごしやすい』とは『会場内にクーラーが存在していることが認識できる』というレベルです(効いているとは言ってない)

 

コミケのことはおいおい語ることにして……

先日の『カンフー・パンダ』に続いて『カンフー・パンダ2』観ました。これまたすばらしかった……

カンフー・パンダ』ってアニメの皮をかぶった哲学論なんじゃないかって思ったりするぐらい、深いところで話が展開していて、気付きがあふれてます。私これについて本気で語ろうとしたら2時間ぐらい軽くかかるわ(笑)

今回はこの『カンフー・パンダ2』をモチーフに色々語ってみます。
全力でネタバレするのでネタバレが苦手な方は回れ右で!

 

movies.yahoo.co.jp

内なる平和と安穏な日々の違い

カンフー・パンダ2』でキーワードというか、必殺技を編み出す根底にあるのが『内なる平和』です。この言葉がどういう意味なのかを掘り下げていくのが『カンフー・パンダ2』のテーマといってもいい。

最初、この『内なる平和』の存在を師匠から聞いた主人公のポー(パンダ)は、「それなら自分にもある」というんですね。確かにポーは好き勝手生きてるし、楽しく日々を過ごしてる。仲間たちとも打ち解けてよろしくやってる。

 

でもそれは『内なる平和』ではなく『安穏な日々』。『内なる平和』とは環境ではなく自分自身。師匠は自分とポーの出会い(=カンフーパンダ1のストーリー)こそが自分の『内なる平和』に気付いたキッカケだと語るんですが、この時点ではポーにはなんのことやらさっぱり分からない。

しかし、話が進むことでその意味が分かってくる。

今回の話ではポーの出生の秘密が明かされます。ヒーローものの主人公って必ずといっていいほど悲惨な過去を背負ってるものですが、ポーも例に漏れず結構ハードで悲惨な過去持ちでした。ただ小さかった+トラウマ化していたため忘れてしまっていたんですね。

 

結論から言えば、今回のボスはポーの両親と一族を滅ぼした仇敵との戦いでした(最初に乗り込んだときはポーはそれを知らなかったけど)

「ヒーローが困っている人を救う」と「主人公の過去の精算」をミックスした作り。

 

なんですが

 

彼、目の前に親と一族の仇がいるのに、復讐を選ばないんですよ。100人いたら99人が復讐を選ぶだろうところで、我慢するでもなく説得されるでもなく、自分の意志で、それもごく自然に「いや、そんなの(復讐)どうでもいいし」って言い切っちゃう。

 

ヒーローとして困っている人は助けた、そこの目的は完遂したので、それでいいと。

 

この『どうでもいい』が言えるかどうかが『内なる平和』の分かれ目、かつ『カンフーパンダ2』の最大のメッセージ。

 

 

復讐なんかどうでもいい、の真意

 

この話において、ポーは自分の仇敵であるシェン大老を見逃そうとします。見逃すというか「あんたもこれからは好きに生きなよ」っていうノリ。いいのかそれで!?と視聴者がツッコミそうになったタイミングで、代弁するかのように「私はお前の両親の敵だぞ」と返すシェン大老。その時にポーは「まあ、そうなんだけど」と平静に返して、続けるんですね。

 

「でもそんなのはどうでもいいんだ。大事なのは、今、何になりたいかだから」

「だからあんたも、今、なりたいようになればいい」

 

これを普通に言っちゃうんですよ、ポー。怒りを隠してるとか大人になったとかじゃなく、本当に素で、本気で言ってるんです。相手も理由があったとか、相手の親が悲しむからとか、ヒーローの矜持に反するとか、もう十分痛めつけたからとか、そういう次元ではなく。目の前に仇がいても、どうでもいいと。自分の怒りをぶつける必要はないと。過去の精算に興味はないと。かといって復讐がバカらしくなったとかそういうことでもないんですね。ポーが復讐に燃え出すのもキャラ的にどうなんだってのもありますが

 

この境地が『内なる平和』。過去は過去。そこに引きずられるのではなく『今、何になりたいか』『今、何をしたいか』に全部を注ぎ込んだ結果、過去の産物である出生の秘密とその悲しみから独立した存在になった。シェン大老(敵)自身、親への復讐心から色々とやらかしちゃったキャラなので、そことの対比も光る。

 

これは最初の方で語られる『師匠が内なる平和に気付いたときのこと』ともリンクしています。師匠が内なる平和に気付いたキッカケは『カンフーパンダ』のストーリー、つまりポーとの出会いでした。

なぜって、ポーは師匠にとって『過去(の栄華)の否定』に他ならなかったから。やる気ないし身体できてないし口答えするし修行サボるしで、師匠の今までの教え方が一切通じない。にもかかわらず『龍の戦士』とかいう肩書き背負っちゃってるから邪険にもできない……相当キツかったでしょう。

そこで師匠が選んだのは『ポーを変えること』ではなく『自分が変わること』。つまり、ポーを育てる、育てたいという『今』に全力を注ぎ、ポーにとって最適な修行法を考えることだったんです。何十年と積み重ねてきたノウハウやら経験、プライドを捨ててポーに全力投球する。そうすることで、師匠自身もレベルアップしたし、ポーも育った。1のストーリーがまるっと2の伏線になってたとかちょっと深すぎない!?(笑)

 

 

『過去の精算』にこだわっても意味ないっしょ?というメッセージ

 

 前作『カンフー・パンダ』に引き続き、この話には哲学的なテーマがガッツリ入ってます。今回は一言で言えば『過去への向き合い方』。ポーの出生の秘密も、師匠が『内なる平和』を手に入れたときのことも、シェン大老がおかしくなっちゃった理由も、全部『過去への向き合い方』なんですね。

 シェン大老は『過去の精算』に斜め上にこだわった結果失敗し、ポーは過去の精算よりも『今、どうありたいか』を選び、師匠は『今まで積み重ねたキャリアを捨てることによって手に入れた可能性』を見守っている。

 

現実に当てはめて考えると、シェン大老モード、もしくはカンフーパンダ1時代の師匠(内なる平和習得前)になってる場合が相当多いなーと思ったんです。親に愛されなかったから、何十年と重ねてきたキャリアを捨てたくないから……って、努力の方向を間違える。

 シェン大老は努力してなかったわけじゃないんです。むしろ超がんばってた。オオカミ族従えて未知の武器とか作っちゃう時点で相当なものです。ポー達に倒されるとはいえ、地位も名誉も手に入れているし。でもその動機は過去の精算、言い換えれば「見返してやる!」だった。視点がいつまでも過去に向いている。未来が向けない。だから今と未来しか向いてないポーに「(復讐なんて)どうでもいいし」って言われてキレる。結局、彼は過去と共に生き、過去と共に滅ぶ。

 

これ、私達もやらかしてると思うんですよ。愛されなかったからーとか、今までは○○だったからーとか、過去に視点が向いてて、過去を抱きしめるあまりそこから先に進めない。マリオカートで言えばコース逆走してジュゲムに×マーク出されまくってるあの感じ。勝負にもなってないし大迷惑だしっていうアレ(笑)

 

でも『内なる平和』って過去の精算で得られるものじゃないんですよね。そもそも過ぎたことを精算なんかできないし、過去の辛い記憶で自分に穴が開くわけでもない。『内なる平和』は『全部受け入れた上で、今、ゼロベースで、どうしたいかを選ぶ』というシンプルな法則。今やりたいことによって過去のキャリアややり方を捨てることになる(=師匠)かもしれないし、仇敵を見逃し復讐を止める(=ポー)かもしれない。別にそれでいい。なぜなら『今の選択』によって過去が否定されることはないから。今の選択によって過去が否定される気がするのは『本人がそう思っているから』ってそれだけ。師匠がポーを育てる案を思いつけたのはそこまで鍛錬してきた成果だし、ポーが生きてこれたのはアヒルのお父さんが育ててくれたからだし。それでいいんです。

 

じゃあ、自分だったら?

何年もやってきたからとか、誰々の子供だからとか、今まで友達いなかったからとか、彼氏いない暦○年だからとか、そんなの実はどうでもよくて、『今』どうしたいか。今、自分のために、誰のほうを向いて、何をやりたいのか。それだけなんだと。

 

そう考えると、楽しく自分の人生見直すキッカケになりそうです、この映画。